AVとは異なる”日活ロマンポルノ”の魅力:低予算ながら名作が多いと言われる理由

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PAETNER編集部
公開, 更新 , 男のオナニー

年配の方には懐かしく感じられるであろう「日活ロマンポルノ」。若い人のなかには知らない人もいるでしょう。

日活ロマンポルノとは1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)にかけて、映画製作・配給会社の日活で作成された成人向け映画のことです。

今でもファンが多く色あせない、日活ロマンポルノの魅力を探ってみましょう。

日活ロマンポルノの特徴

shutterstock_529846738日活ロマンポルノが初めて製作された1971年といえば、2019年からみると約50年前。製作終了した1988年ですら30年以上前です。にもかかわらず、2016年には「日活ロマンポルノリブートプロジェクト」が発表されるなど、とても根強い人気があります。

この「リブートプロジェクト」は、それまで日活ロマンポルノ作品を制作したことがなかった監督5人が選出され、完全新作の「日活ロマンポルノ」を撮るというもの。

製作された映画作品は2016年11月から2017年2月にかけて、約1ヶ月に1作のペースで順次上映されました。

ここまで人を惹きつける日活ロマンポルノにはどんな特徴があるのでしょう?

ピンク映画・AVとは一線を画すストーリー

ポルノ映画でありながら、他のピンク映画やAVと同じなのは性と官能をテーマにしているという一点のみ。

ロマンポルノの予算はピンク映画と比較すると潤沢で、さらに日活所有のスタジオ・専属スタッフなど環境の面でも恵まれていました。

そのような環境で、時には無名の監督や脚本家がこぞって自身のオリジナリティや作家性を発揮できる作品を制作した結果、ピンク映画とは大幅にカラーや完成度の違う作品が生まれたのです。

権威ある賞を受賞した作品や役者も少なくはなく、キネマ旬報のベストテンにランキングする作品もありました。

ポルノ映画としては異色の豊かなストーリー展開、大胆な演出を見せると共に、一般映画では描写が難しい過激でダークなテーマを取り扱うことで、ロマンポルノは他の映画にはない独自の路線を築いたのです。

低予算で大量生産される

shutterstock_529846291他のピンク映画と比較すると潤沢であった予算ですが、一般の映画に比べると制作費はあまりかかってはいませんでした。

一般映画より低予算でありながら採算の面では利益が上がりやすいロマンポルノは、17年間でなんと約1100本もの作品が量産され、その名を不動のものとしたのです。

団地妻、大奥などのモチーフを生み出す

今でもAVで見かけるジャンルである「団地妻」という言葉を初めて公に使用したのはロマンポルノだといわれています。

1971年の「団地妻 昼下りの情事」の公開は映画界に衝撃を与え、その後、「団地妻シリーズ」は20作品が公開される人気シリーズとなりました。

大奥とは江戸時代江戸城にあった、将軍のための女性だけが集う場所です。男子禁制で女性の様々な駆け引きや欲望が渦巻く大奥は、とても興味を掻き立てられる舞台設定であり、ロマンポルノにとどまらず、一般向けの作品でもたびたび題材にされています。

日活ロマンポルノでは1970年代を中心に多くの作品が制作され、団地妻シリーズと並ぶヒットを数多く生み出すシリーズとなりました。

自由な表現

「10分に1回性行為のシーンを入れる」「上映時間は70分程度」「モザイクやぼかしは入らないような画面作りをする」など、特定のフォーマットを確実におさえておけばストーリーや演出などは監督に任され、横槍を入れられることなく自由な作品制作が許されていました。

これは、キャリアの浅い監督、脚本家、演出家にとって自分の作家性を遺憾なく発揮させることとなり、結果的に若手映画クリエイターの成長の場として大きく貢献することになったのです。

日活ロマンポルノの歴史

shutterstock_527210437ここで、日活ロマンポルノという映画群が作成されるに至った経緯について見てみましょう。

1950年代後半、日活は多くのヒット映画を世に送り出し、日本映画の黄金期を支えていました。

しかし、1960年代後半から映画の観客数の減少や、社長のワンマン体質による放漫経営で資金難に陥り、映画の製作すら困難になってしまいます。

1971年6月、ワンマン社長であった堀久作氏が電撃退陣。新しく社長に就任したのは久作氏の息子・雅彦氏です。父の放漫経営の後始末に追われ、日活専属の俳優はほとんどフリーになってしまいました。

そんななかで1971年夏、会社と労働組合合同で「映像委員会」を設置し打開策を検討した結果、営業担当の役員から提案されたのが「ポルノ映画の製作・配給」でした。

「ポルノでも何でもいいからカメラを回して映画を撮りたい」という強い気持ちを持った委員会のメンバーが提案に賛成し、日活は会社を生き残らせるためにポルノ映画製作へと舵を切ったのです。

「ロマンポルノ」という言葉に込められた意味

当時の映像本部長室部長・黒澤満氏は以下のように語っています。

「どこからか寄せられたアイデアに"ポルノロマン"というのがあって、それをひっくり返して『ロマンを求めるポルノ』という意味をこめ、"ロマンポルノ"と名付けた」

つまり、ポルノ映画とはいっても性欲に訴えかけるだけのわいせつな映画を撮る気は最初からなかった、ということです。

そんなロマンポルノも1980年代にはライバルとなるAVの登場により、次第に勢いが衰えていきます。

その結果、1988年4月14日に日活経営陣は東京プリンスホテルにて、「同年6月をもってロマンポルノの映画制作を終了する」という内容の記者発表を行うこととなりました。

1988年5月28日、最後に公開されたロマンポルノは後藤大輔監督「ベッド・パートナー」と金澤克次監督「ラブ・ゲームは終わらない」。この2作品とも、両監督のデビュー作でした。

日活ロマンポルノの有名作品

「団地妻 昼下りの情事」1971年公開

日活ロマンポルノの第1作目となる、いわば記念碑的作品です。

都内近郊の団地で主婦としての生活に鬱屈とした不満を覚えていた主人公、魔が差して昔の男とホテルに行くことになるのですが、実はその男に弱みを握られていて……そして、主人公はコールガールの道に足を踏み入れ、深みへとはまっていくことになるのです。

「赫い髪の女」1979年公開

昭和を代表する純文学作家・中上健次氏の短編『赫髪』を原作にし、後に日本映画を代表する監督の一人となった神代辰巳氏がメガフォンをとった作品。

ダンプカーの運転手である光造は、社長の娘を犯した雨の日に赫い髪の女と出会い一緒に住むようになります。女は自分の過去を詳しくは語らないミステリアスな存在。

アパートの一室でひたすら性愛にふけるさまを絶妙のカメラワークで鮮烈に描いており、日活ロマンポルノを代表する「傑作」のひとつとして高く評価されています。

「天使のはらわた 赤い教室」1979年公開

石井隆による『天使のはらわた』を原作として、石井氏と監督の曽根中生氏が共同脚本を手掛けた作品。前作「女高生 天使のはらわた」に続くシリーズ二作目です。

数ある日活ロマンポルノ作品のなかでも特に有名な一本とされています。

暴行現場を撮影されたフィルムが市場へ出回ってしまったことから今までの生活が一転、運命の下り坂を転がり落ちることとなった主人公。そんな主人公のビデオ映像を観たとある男性は主人公に恋をし、何とか救おうとするのですが……。

日活ロマンポルノには他にも多くの「傑作」と呼ばれる作品がありますので、興味のある方は「自分にとって最高の一本」を探してみるのも乙なものではないでしょうか。

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