明治時代のセックス・性風俗・オナニー事情

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PAETNER編集部
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明治時代といえば、明治維新によって近代化が進み、鎖国の終了によって外国の文化も多く流入してきた時代です。とは言え、現代日本と比べれば明治時代は考え方も文化も異なります。それは男女の性事情においても同じです。

明治時代の性風俗やオナニー、セックスについて見ていきましょう。

明治時代のオナニー事情

明治時代、オナニーは「汚いもの」

明治時代において、オナニーは、世の中の風潮的に「汚いもの」ととらえられていた節がありました。オナニーをすれば罰せられるわけではありませんが、オナニーをする=汚らわしい人という印象は時代のイメージとしてあったのは確かです。

これは明治5年に制定された「芸娼妓解放令」という政令が理由となっていることが考えられます。芸娼妓解放令とは、売春目的で人を売り買いすることを禁止する決まりのことです。

もちろん現代においても売春は禁止ですが、明治時代はその風潮がより強かったと考えられます。

江戸時代は遊郭文化が栄え、吉原にやってきた女性たちが堂々と売春をしているという光景が見られましたが、鎖国が解かれたことによって性に対するある種の緩さが明るみになり、当時の外国人からは軽蔑の眼差しが向けられました。

その結果、日本人が当たり前だと思っていた性に対する考えが、明治の世においては「汚いもの」とする考えが広まり、それに伴ってオナニーも汚いものいう印象になっていたのです。ちなみにこの影響で、混浴や春画なども厳しく規制されていたといいます。

明治時代は何で抜いてた?

明治時代も今と同じように「オナニーは周りに隠してするもの」。

しかし世の中が性に対して厳しくなっていくなかでも、アダルトグッズは存在していたのです。規制をかいくぐって密売されている吾妻形や春画を利用し、人々は密かにオナニーを楽しんでいたと思われます。

吾妻形とは、現代で言ういわゆるオナホのこと。江戸初期に登場し明治以降も密かに販売されていました。ただし高級品でもあったため庶民は吾妻形はほとんど使用せず、実際のところはコンニャクなどのヌルヌルしたものをつかったり、農村ではアソコに虫をつけて川に入って魚に突かせていたようです。

明治時代の風俗事情

明治時代は性に対する規制が始まり、風俗にも大きな変化が現れました。江戸の時代の風俗といえば遊郭などが有名ですが、明治政府の出した政令により、遊郭は崩壊、そして遊女たちも仕事を失っていきました。

しかしそれはあくまで建前で、法令に触れないように形を変えて性風俗の営業は行われていました。遊女だった女性たちはいわゆる「立ちんぼ」的な娼婦として体を売ったり、「貸座敷」という変化した営業形態で風俗を営んでいました。

ちなみにこの営業について、明治政府は公式に認可を出しています。つまり、明治時代は売春目的の人身売買こそ禁止されたものの、認可をもらって警察の監視のもとであれば、風俗の営業を行うかどうかは自由ということになっていたのです。

奴隷のような形で風俗の仕事をするのは禁止、けれど自分からその仕事を選ぶかどうかは自由ということになります。ちなみにこの政府の管理された風俗営業は、昭和の終戦後まで続きました。

明治時代のカップル・夫婦関係(セックス)は?

今でこそ恋愛は自由にできる時代ですが、カップルになること、結婚することは、明治時代においてどのようなことだったのでしょうか。

江戸から明治に時代が変わり、近代化が進んだとはいえ、当時はまだまだ男尊女卑的な風潮が強い世の中。男女が平等に恋愛をすることは、基本的にあり得ないことでした。

西洋文化が入ってきたことで恋愛観に変化

明治時代になって、人々は初めて「恋愛」というものに触れることになります。

もちろん江戸時代にも異性に恋心を抱くという概念はありましたが、それはあくまで遊びであって、その時のノリ的なものという考えが強かったのです。だからこそ恋愛に夢中になり、ゆくゆくは相手との結婚を考えるということは時代的にあり得ないものでした。

そのため「恋愛」を主な要素にした小説が世に出始め、当時の人々は最初困惑します。

そもそも結婚することは、跡取りを作ること。子供という新しい労働力を得て生活を支えること。そういった概念が強かったため、恋愛から結婚という流れは明治時代の人々の中になかなか定着しませんでした。

ただ、なかなか定着はしないものの、フィクションの世界で「恋愛というものがあるんだ」というイメージに触れる機会は増えていきます。それが徐々に恋愛観の変化につながっていったと考えられます。

女性の役割はセックスをすること

明治時代には、子作りを目的とする「セックスのマニュアル」なるものが存在しました。これを「女閨訓抄(じょけいくんしょう)」と言いますが、ここには女性の役割は、子作りをすること、つまりセックスをすることと明記されています。

現代日本においてそんな文書があればたちまち大炎上しそうなものですが、現代と明治時代で、いかにセックスというもの、女性というもの、結婚というものについて考え方が違ったのかがわかるでしょう。

明治時代は正常位よりも後背位が一般的だった

明治時代は、正常位よりも後背位が一般的でした。それにはもちろん時代背景が影響しています。

まず、明治時代には家の布団でゆっくりセックスを楽しめるようなカップルや夫婦は庶民にはいませんでした。というのも、家にしっかりとした作りのベッドがあって、誰にも見られない部屋の中でセックスができるのは、お金持ちだけだったからです。

当時の庶民が暮らす木造の家屋には、鍵がかかりません。現代で考えれば驚きのことですが、当時はこれが当たり前のこと。だからこそ庶民にとってセックスは「人に見られるかもしれないもの」という考えが常にあったわけです。

そのため一般的な庶民は、誰かが入ってくるかもしれない家の中で、もしくは外で、こっそり下だけを脱いでセックスをしていました。つまり局部だけを露出して行為に及ぶには、後背位はちょうどよかったということです。

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