江戸の遊郭はどんなところだった?遊郭の歴史や各地の遊郭を紹介

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PAETNER編集部
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遊廓といえば華やかなイメージをする人も多いのでは。江戸時代の幕府公認の遊郭は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町の3つが有名です。しかし、この有名な3つの遊郭以外にも公認されていない遊郭がありました。

遊廓とは

遊廓とは江戸時代の風俗です。遊廓は公許の遊女屋を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画を意味します。遊廓は政府が管理しており、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町だけとされていました。しかし、実際には長崎や宿場町にも風俗が存在しており、政府から未公認で営業しています。

『関内新聞』によると現在の横浜公園も遊廓であったとされています。伊勢佐木町や日ノ出町は今でも大きな風俗街で、ソープや店舗型ヘルス、デリヘルのお店が多く賑わっています。江戸時代の遊廓の影響を強く受けていると考えられます。

遊廓だと日本最大である「吉原遊廓」は敷地面積は二万坪を越える大規模な風俗街でした。働いている遊女も数千人以上いて、現在も吉原は日本一のソープ街としてさかえています。

遊女の種類

遊廓で働いている遊女は2パターンに分かれます。1つ目は借金があり金銭的な理由で働いている遊女。2つ目は奴刑(しゃつけい、身分刑)による遊女で奴隷として働いている遊女です。今では信じられないでしょうが、この時代は奴隷制度がありました。

1699年までの判決が記載されている「御仕置裁許帳」によりますと、自身の家族が犯罪を犯した場合や、政府の許可無しで売春を行った売春婦は奴隷身分として働かされています。

「年季奉公」といって一定の期間だけ奴隷として遊女を全うすれば解放される遊女もいましたが、「年季奉公」の遊女はごく一部のみでした。一般的には永遠に奴隷から解放されないため、お客さんが気に入った遊女を買い取る「身請け」が唯一の開放されるための手段でした。

遊郭の歴史

遊郭の歴史に欠かせないのが吉原遊郭と島原遊郭です。吉原遊郭は江戸時代の最も栄えた遊郭であり、現在に至るまで強い影響を及ぼしています。島原遊郭は京都にある遊郭であり、近藤勇や土方歳三などの新選組のメンバーも通っていたことで有名です。

遊郭の起源は、神社の巫女による官人の接待です。もともとは政府が公認している遊郭で働かずに、地方で自分で売春する遊女も多かったため、次第に遊女を取り締まる動きが起こります。1589年(天正17)に秀吉によって開かれた京都の柳原遊郭が最古の遊郭です。

各地の遊廓

大坂の新町遊廓、京都の島原遊廓、江戸の吉原遊廓は、三大遊廓と呼ばれ栄えました。幕府非公認の遊廓として有名なのが伊勢古市と長崎丸山で三大遊廓に加えて「五大遊廓」と呼ばれています。

新吉原では遊廓が300件近くまで増加していました。江戸時代は遊廓で遊女と遊ぶのが一つの文化でした。また、伊勢参りと称して、全国各地を旅することがブームにもなっていたため、旅行して遊廓で全てのお金を費やす人も多くいました。

大坂の新町遊廓、京都の島原遊廓、江戸の吉原遊廓に行くことは周りに自慢できることになったので、大阪や京都、江戸に行った時は遊廓で夜明けまで遊ぶのが一種のステータスだったようです。

遊女には性病が多かった

現在のコンドームなどの避妊具がなかった江戸時代は性病が蔓延していました。遊女を診断した西洋人医師は「どうしてこんなに罹患者が多いのだろう」と驚いています。

朝日新聞が出版した『図説吉原事典』『図説吉原事典』によると性病の治療薬として陰毛を煎じて飲ませていたとされています。毎晩性行為をしていた遊女は梅毒や淋病にかかっていました。

症状がひどいと皮膚や筋肉にゴムのような腫瘍ができ、臓器や骨や脳を蝕み死亡する遊女も多かったのです。性病として有名なエイズは潜伏期間が20年になることもあり、15年経っても症状が出ないこともあります。

梅毒も潜伏期間が長いため知らないうちに感染していたり、症状が治ったと勘違いしたりして、性病にかかる人は多かったと言われています。

妊娠した遊女は堕胎させられる

遊廓の遊女は、一晩で何人もの相手と性行為を繰り返すため妊娠することもありました。妊娠すれば働けなくなるため水銀を飲んで堕胎させるなど、恐ろしい方法で堕胎させられています。

一部の遊女は出産するケースもあり、男の子の場合は他の里子へ預けられ、女の子の場合は遊郭の中で育てられてます。そして大人になれば遊郭の中で働く一生を過ごします。

遊廓の文化

遊廓の文化は江戸時代の代表的な娯楽の場であり、上級の遊女(芸娼)は太夫や花魁と呼ばれます。ルックスの良さだけで花魁になることはできず、会話や作法、帯の結び方など、高い知性が必要とされていました。

花魁は上級貴族や大商人、武士とうまく会話するために歴史や文学を学び教養をつけています。上級貴族や大商人に気に入られれば身請けとして妻になることもできました。

遊廓で働く遊女は一生を遊女として過ごすことがほとんどなので、身請けは遊女にとってゴール。江戸中期以降は遊廓の取締が厳しくなっており、政府非公認の遊廓の営業が難しくなり衰退しました。

まとめ

江戸時代に栄えた遊郭の文化は今でも根強く残っており、特に吉原は最大のソープ街として栄えています。

現在は政府公認の風俗はありませんが、大阪の飛田新地(飛田遊廓)では表向きは旅館だが「自由恋愛」の名目でかつてと変わらない営業を継続する場所も残っています。

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