日本三大遊郭の一つ「吉原」の歴史:現在も人気の風俗エリア

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PAETNER編集部
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吉原は今では日本一のソープランド街として栄えています。江戸時代の最大規模だった吉原遊郭は歴史が深く、現在の吉原に深く関係しています。

三大遊郭の一つだった吉原

江戸時代の吉原は三大遊郭であり日本で最大級の遊郭でした。在籍する遊女数も数千人おり、島原遊郭(京都)や新町遊郭(大阪)をしのぎ日本一だと言われています。

日本最古の遊郭は京都にある島原遊郭で、吉原もここのシステムを引き継いでいます。もともとは江戸時代の吉原は現在の場所ではなく日本橋付近に位置していました。657年に江戸を襲った明暦の大火により、日本橋付近の吉原遊郭は壊滅的なダメージを受けたため、現在の吉原へ遊郭ごと移動した歴史があります。

風俗業界の元祖になっている

吉原は風俗業界の元祖になっています。現在の吉原のソープランドも多いですが、江戸時代は今の2倍はあり約250店舗存在していました。その背景には1957年の売春防止法の改正、1985年の風俗営業適正化法、1999年の風営法の改正で営業の取締が厳しくなったからです。

吉原以外には川崎の南町や横浜の黄金町が関東で栄えており、江戸時代の名残りもあり現在もソープ街として栄えています。江戸時代はソープランドやたちんぼのような形態の風俗はありましたが、「ピンクサロン・ファッションヘルス・デリヘル」のような形態のお店はありませんでした。

現在はさまざまな風俗の形態があり、江戸時代のような本番セックスありの風俗は完全に壊滅しています。しかし、ソープランドは「自由恋愛」で本番セックスするケースも多く、江戸時代の歴史が受け継がれています。

性病が蔓延していた

吉原は豪華絢爛なイメージを持っている人も多いでしょう。さくらんや花宵道中、吉原炎上など江戸時代の吉原をテーマにした映画も放映されており、性病のイメージはないかもしれません。

しかし近年、都内在住の収集家の浅田正春さんが入手した、明治時代半ば頃の写真に吉原の全景が写っており、その中に梅毒の検査をした検黴(けんばい)病院も写っていました。

当時は今よりも性病や避妊に関する知識を持っている人が少なく、現在よりも性病患者が多かったはずです。

吉原の最下級の遊女「鉄砲」

吉原は最上級「花魁」から最下級まで位があり、数千人いる中で花魁になれるのは10人にも満たないほどでした。最下級の遊女は「鉄砲」と呼ばれたのは、梅毒や淋病などの性病を移されることからです。

花魁クラスであれば性病を治すお金もありますが、最下級の遊女は病院で治療するお金もないため性病のまま働くことが多かったのです。また、梅毒は潜伏期間がないため気づかずに働く遊女も多くいました。

また、花魁の中にさらに細かい位があり「呼出し」「昼三」「付廻し」と分類されます。「呼出し」クラスになれば気に入らない男性を相手にしないこともでき、客より立場が上の花魁も存在します。

上客にだけ使う「裸寝」

「裸寝」とは名前の通り裸で寄り添って寝ることです。江戸時代は布団は高価であり洗濯機もないため、気軽に裸寝をして布団を汚すのはリスクがありました。

自分が気に入った上客だけに「裸寝」をして客としてつなぎ止めるのが、遊女の最上のアピール方法でした。

吉原の歴史

吉原は歴史が深く現在の風俗業界に強い影響を与えています。江戸初期は美女は関西に在りと言われるほどでしたが、吉原遊郭ができてからは地方の美女が徐々に江戸に集まるようになりました。

吉原のルール

吉原は行けば性欲を発散できる場所ではなく、細かいルールが存在しました。吉原の遊女に会うのは高額なお金がかかるため、庶民が気軽に行ける場所ではありません。

1回目は遊女と面談するだけで会話ができない場合もあります。2回目は遊女の顔を見るだけです。3回目でようやく肌に触れることができます。遊郭が用意した芸者や盛り上げ役の太鼓持ちとよばれる芸人にもギャラを払う必要があるため、100万円以上のお金がかかります。

ルールを破ればお客であろうと遊郭から罰を受けます。遊郭の男衆に捉えられ下着姿にさせられたり、顔に墨を塗られたり、女装させられたり、遊女の気が済むまで笑い者にされるようです。最後には多額の違約金を払うことになるため、ルールを破る客はほとんどいませんでした。

他のルールでは「永久指名制」があり、一度指名した遊女以外とは遊ぶことができません。現在のホストやキャバクラも「永久指名制」があり、吉原の歴史が受け継がれています。

明治以降はトルコ風呂(ソープランド)になる

明治以降は吉原遊郭は歴史の幕を閉じてトルコ風呂(ソープランド)に転身します。歴史の終止符になったのが1956年の5月21日に売春防止法が可決成立し、今までの吉原遊郭営業が難しくなったからです。

江戸時代から長きに渡り続いた吉原遊郭は、元は借金を返済するために働く娘や奴隷として働く娘で溢れていましたが、明治以降はビジネスとして働く娘が多かったです。

都市開発の真っ最中だったために泥まみれになる人が多かったため、現在のソープランドのようにお風呂場で女性を接待させる形態になりました。

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